2022-11-07
Special Contentsカルチャーモデル醸成へのプロセス #1Knowledge Baseは、創業から5年目を迎え、現在、次のステップへの大きな変換点に立っています。2022年6月から、企業のミッション・ビジョン・バリューをより明確にし、組織のカルチャーモデルを醸成しようと動き始めました。カルチャーモデルとは、その集団の持つ固有の文化であり、あり方であり、そしてやり方(行動パターン)と言えます。その醸成により、社員一人ひとりが持てる力を最大限に発揮し、楽しみながらめざす姿へ自律的に向かっていく組織に育てたい、というのが経営者である坂本之総社長のねらいです。
カルチャーモデルの醸成にあたり坂本社長が声をかけたのが、早稲田大学時代のグリークラブの同期で、とんがりチーム研究所を主宰する創発デザイナー・AKIさんこと、野口正明さんです。「人と組織のプロフェッショナル」として、長年、組織づくりに携わってきたAKIさんと坂本社長は気心の知れた仲であり、リラックスした雰囲気でプロジェクトはスタートしました。
本連載は、当プロジェクトのプロセスを追うことを目的としています。坂本社長とAKIさん、そして書き手である筆者、さらにKnowledge Baseのメンバーとの「共話」をベースに、カルチャーモデル醸成の道程を紹介していきます。第1回目となる今回は、坂本社長がなぜいま、カルチャーモデルの醸成へ動き始めたのか、その意図と、会社設立へ至った経緯について聞きました。
聞き手=AKI(野口正明):とんがりチーム研究所主宰/創発デザイナー 田井中麻都佳:フリーランス編集者・ライター
「なぜ、ミッション案として、『価値あるコンテンツをすべての人に届ける』という言葉を掲げたかというと、本来、より多くの人に読まれるべき価値のあるコンテンツが埋もれてしまっていて、そこにアクセスできない、ということが非常に問題だと思っているからです。私自身、出版社に17年いた経験から、記者が渾身の力を振り絞って書き上げ、出版社が命運を賭けて世に送り出すような良質な記事や書籍をたくさん目にしてきました。ところが、現状、インターネットに流れてくるコンテンツの多くは、時間つぶしのようなものだったり、その人にとってはどうでもいい広告だったりして、いざ、本当にほしい情報を探そうにも、埋もれてしまっていて探し出せないですよね? この状況をITの力で変えていきたい。人それぞれ必要とするコンテンツはちがいますが、その人が求めるものへ自由にアクセスできるプラットフォームを構築したいと考えているのです」
初回のインタビューで、検討中のミッション案について坂本社長に尋ねた際、開口一番に返ってきたのがこの答えだった。
なぜ、私たちは欲しいコンテンツになかなかアクセスできないのか。その原因は、記事のつくり手側の事情と、検索エンジンのアルゴリズムにあるという。
「メディア側にとって、そうした良質な記事はメディアのアイデンティティであり、決して無料では提供できない生命線と言えます。そのため、読者が記事を読みたいとなったら、その新聞や雑誌の会員になって、月額いくらといったかたちで会費を払わなければならないわけですね。実際、ここから先は有料会員のみが閲覧できますとなっていて、続きを読めない記事が数多く存在します。読者にしてみれば、たった1本の所望の記事のために、わざわざ月会費を払ってまで読むまでもないかと、諦めてしまう場合が多いのではないでしょうか。
さらに、有料コンテンツの多くは検索エンジンに引っかかりません。引っかかったとしても、冒頭の限定したリード的なものを読ませるだけ。意図的に読ませようとしないかぎり、多くの場合、検索エンジンのクロールロボットを有料記事はブロックしてしまうので、検索結果に上らないのです。キュレーション・メディアのロボットに対しても同じことが言えます。その結果、良質な記事の存在自体が認識されない、ということが起こっています。これって、本当にもったいないことですよね」
「そんな状況だとはまったく知らなかった」とAKIさんは言う。確かにネットに流れてくるコンテンツの多くは、誰かのゴシップ記事だったり、ダイエットを促す記事だったり、興味のないサムネイルであふれている。あるいは、検索したワードに紐づいた類似の広告記事が延々と表示されてうんざりすることもある。一方で、求めているコンテンツは有料で途中までしか閲覧できなかったり、そもそも知りたいことが検索エンジンにヒットすらしなかったり、ということもよくある。しかし、これだけ情報化が進んだ世の中で、そもそも必要としているコンテンツの多くがひっそり眠っているとは、思いもよらなかった。
Knowledge Baseという社名は、Knowledge、すなわち「知」を積み上げていくベース(基盤)を築きたい、という願いで名付けたと坂本社長は語る。
「1994年に東京大学出版会から出版された『知の技法』という書籍がありますが、この本がいまだに売れているのは、知の共有のための緒(いとぐち)を示したことにあると思っています。こうした良質な書が時代を超えて読み継がれているように、簡単に消費されてしまうようなものを金太郎飴的に大量につくっていくのではなく、知という人類にとってかけがえのない宝を積み上げていくしくみを、自分たちが得意とするITの力を通して提供していきたいと思っているのです」
坂本社長がこうした境地に至り、会社を設立するまでには、それなりの紆余曲折があった。実を言うと筆者は、坂本社長とは、大昔、新入社員として入った不動産ベンチャーで机を並べて働いていたことがある。当時から先輩は社会の不条理に憤り、正しくないと思えば上司にも食ってかかるような血気盛んな人だった。一方で、「昨日は●●と飲んでこんな話で盛り上がったよ」などと、プライベートなことまで楽しげに話す陽気な人でもある。その後、バブル崩壊を機に、先輩は日経ホーム出版社(現・日経BP社)に転職し、フリーライターとなった筆者に仕事を依頼してくれたこともあったが、ここ十数年は年賀状のやり取りくらいで、起業したことくらいしか知らなかった。
日経ホーム出版社に移ってからは、広告営業を担当し、『日経マネー』や『日経ウーマン』、『日経おとなのOFF』などの企画や営業業務に携わっていたという。17年間の在籍期間にキャリアアップを重ねるなかで、ビジネスの何たるかを学び、多くの盟友を得た。その間、組合の委員長を2回も務めたという。
「もっとも、話がかみ合わない人やライバルもたくさんいました(笑)。実は、結果的に一番影響を受けた上司からも、『おまえは理屈ばっかりで中身がともなっていない』と、最初はずいぶんいじめられたんですよ。まぁ、生意気だったからでしょうね。この上司(後の常務)には、物事を決裁するときには極限までシンプルに考える、というやり方を徹底的に教え込まれました。稟議を上げる際も、京大カードというB6判の小さなカードに書く習慣がまだ残っていて、それに簡潔に書いてまとめて持って行かないと怒られるし、そもそも読んでもらえないのです。その訓練のおかげで、複雑な事象にぶち当たったときに、その根底にある本質を捉える力みたいなものが身についたのかもしれません」
一方、反面教師となった上司もいる。組織のヒエラルキーを重視する、権威主義的な上司とは徹底的にやりあった。
「ツリー構造の組織には限界があると思っています。私がめざすのは、リゾーム(地下茎、根茎)状の組織です。つまり、一人ひとりがやりたい方向に向かいつつ、全員が集まると最大限の力を発揮するような有機的な組織をめざしているのです」
出版社時代、「最初は、営業が嫌でやりたくなくて、しょうがなかったんですよ」と坂本社長は言うが、次第に数字が取れるようになり、仕事が面白くなってくると、金融業界のクライアントを中心に億単位の大型案件を受注するまでになった。
その後、日経ホーム出版社が日経グループの出版統合で日経BP社と合併したのを機に、独立系金融工学会社に転職してからも、企画営業部長、執行役員業務推進部長などを歴任するなかで、大型案件を次々に受注し、経営の屋台骨を支えた。とはいえ、いわゆる御用聞きはしたことがないと言う。
「ターゲットに対してどういうアプローチをするのがいいのかといった戦略的な提案書を書いて、役員クラスの方たちとお話しをさせていただくなかで、パートナーとして認められてきたという感じです。結局、顧客がやりたいことに賛同できるかどうかがドライブとなってきたのだと思っています。賛同できれば、なんとしても頑張って良いものを届けよう、となりますからね。
ちなみに、金融工学の会社に移ったのは、先述の上司の助言に従ったものなのですが、一つはITを使える会社であること、もう一つは社長と気が合うこと、という二つ条件にかなう会社に転職しろと言われたんですよ。秋葉原の焼き鳥屋で(笑)。何でITなんだよと思いましたね、その時は。ただそこは、鼻が利くというか、今後、ITの分野が飛躍的に伸びることを予見されていたのでしょうね。実際に、金融工学の会社でITを一から学ぶことができたからこそ、いまにつながっています」
ここでは、金融業界の顧客からの学びが一番大きかったという。ロボアドバイザーや投資信託の分析ツールなどを納入するなかで、顧客が求めているのは、使いやすいシステムであると同時に、運用、保守がきちんとできて維持し続けられるものだと教わった。一方、経営に対する自身の考え方と周囲とのギャップが深まるなかで、次第に独立への意志を固めていったという。
「最初は、現在、執行役員かつインフラ部門の責任者を務める佐々木俊也と、クラウドの導入コンサルをやるつもりで独立したんですね。また、個人的には金融分野に特化したUI/UXのビジネスもやりたいと思っていました。そのために別会社もつくったのですが、会社の立ち上げは決して順風満帆だったわけではありません。起業をしてみて初めて、そのたいへんさを思い知りました。私はエンジニア業務以外のすべてを担うわけですが、人を雇うということの重責がこれほどまでとは思ってもみませんでした」
そうした苦労を買って出ても起業したのはなぜか。複数回のヒアリングで、何度か坂本社長が言及したのが、大学時代のグリークラブでのエピソードだった。パートリーダーを務めるなかで、組織運営の難しさと同時に、大きなやりがいを感じたことが原点になっているという。
「グリークラブで私はバリトンパートのパートリーダーを担当していたんですね。楽譜を読めないメンバーもいるなかで、一人ひとりの能力を見極めながら、それぞれの持てる力を最大限に引き出して、25人ほどの声を一つのパートの音としてまとめ上げていく営みというのは、たいへんなことです。でも、リーダーの采配によって、パート全体のパフォーマンスがまったくちがってくることに気づいてから、意識が変わりました。練習が足りない人は4年生でも後ろの列に置いたり、1年生でもしっかり歌っている人を前に配置したりすることで、組織としてのまとまりが出てくる。もちろん、アマチュアだからこそ、仲間と楽しみながら音楽をやればいい。ただ、それぞれがオーナーシップを持ちながら、能力を最大限発揮しなければ、心底は楽しめないとも思っています。やはりいまから思えば、グリークラブでの体験が、いまの組織運営の原点になっているんでしょうね」
「あのとき、そんなことを考えていたなんて、思いもよらなかったなぁ」と言うAKIさん。パートがちがったため、外から眺めていたAKIさんにはやや意外な答えであり、また同時に、経営者として理想を追う坂本社長の姿を見て、納得の答えでもあったようだ。
次回は、冒頭で触れた、人々が求めているコンテンツへアクセスできないという大問題の解決につながる、Knowledge Baseの新たなサービスについて紹介します。
(取材・文=田井中麻都佳)